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インタビューに答える元首相の村山富市さん=2010年4月24日午後3時39分、東京都千代田区神田小川町3丁目、長島一浩撮影

 17日に101歳で亡くなった元首相の村山富市さん。自民・社会・さきがけによる連立政権のもとで1995年、水俣病の政治解決に尽力したことは、大きな功績のひとつに挙げられる。当時の関係者から悼む声が聞かれた。

 水俣病の被害を発生・拡大させたのは加害企業チッソだけではないとして、被害者たちは国や熊本県の責任も追及した。損害賠償を求めた集団訴訟を起こしたが、司法の判断が分かれ、裁判所による和解の呼びかけにも国は応じなかった。事態は膠着(こうちゃく)した。

 そんな中で誕生した村山政権は、一時金や医療費を支払い、一定の救済をする政治解決策を初めて決定した。

 「役所がかたくなに解決を拒む中、総理として救済するという姿勢を明確に示したことが政治解決につながった」。熊本や福岡での水俣病訴訟で弁護団副団長を務め、政府との交渉役の一人だった馬奈木昭雄弁護士(83)=福岡県久留米市=は当時を振り返る。

 被害者を水俣病患者とは認めないなど不満が残る内容だったが「互いにギリギリまで積み上げた。それを可能にしたのは、最後に村山さんが控えていたから」。

 その後も、補償や救済策から漏れた人々による裁判は続く。担当する役所は解決に後ろ向きで、それを打開しようとする政治の姿はいま、見えない。「村山さんらには一定の合理的な判断ができる『ゆとり』のようなものがあった。いまそれを改めて感じる」と話した。

 政治解決を受け入れた団体の…

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